クリスマスの前夜の第3回で最終の船外活動の時に、ハッブル宇宙望遠鏡は無線送信機とデータ記録装置をディスカバリー号の宇宙飛行士達から贈られました。
これまでに30億ドルもの装置が問題なくハッブルにインストールされました。その中にはメインコンピューターや一新した誘導センサーや6つのジャイロスコープなどがあります。 宇宙整備士が到着する前の11月中頃に、12.5トンの天文台は使用不能になって運用できなくなりました。 ハッブルはクリスマスの土曜日にディスカバリー号から天文学者や他の天文家への贈り物として軌道に放出されます。 困難な宇宙での整備 ペイロードコマンダーのスティーブ・スミスと宇宙飛行士ジョン・グランスフェルドは、ハッブルの壊れた送信機や旧型のオープンテープ式記録装置を取り外して新しいユニットを取りつけるのにナットやボルトの処理に取り組みました。 宇宙での機械仕事は、非常に時間のかかる作業です。 宇宙飛行士は、ディスカバリー号の50フィートのロボティック・アームをコントロールするのに4階建てのハッブルの周囲の自分達の動きをコーディネートをしなければなりません。 あらゆるツールは、不用意に空中に飛んでいったり落ちたりしないようにそれぞれ縄でつながれています。 グランスフェルドは、金曜日にレンチの一部を落しそうになる緊張の一瞬がありました。 NASAは無線送信機が壊れると予想してなかったので、コネクターは宇宙飛行士のかさばった手袋で扱えるようには作られていませんでした。 エンジニア達は、交換ユニットを再設計して小さなコネクターを取り外したりインストールする特殊工具を考案しました。 その工具がなければ、あきあきする作業になったことでしょう。 グランスフェルドは、古い送信機のプラグを抜く時に手を休ませなければなりませんでした。 彼はまた、自分の宇宙服の裂け傷にも注意を払いました。 一方、ハッブルのオープン・リール記録装置も取り替えられました。 この新しい半導体記録装置は、リールやテープや可動部分がなく10倍の容量のデータが記録できます。 宇宙飛行士の最後の仕事は、5フィートと4フィート四方の薄いステンレス・スチールによってハッブルを縫い上げることでした。それは300度の温度から望遠鏡の外皮を保護します。 1997年に最後に行なわれた整備の時に宇宙飛行士達が、ハッブルの太陽側の断熱材が砕けたり剥がれたりしていると報告していました。 まず飛行士達は、ぼろぼろになった断熱材を剥ぎ落とさなければなりませんでした。 「私は、サンタの袋から出てきたおもちゃを手に入れた子供のような気分だ。」とグランスフェルドは古いフォイル保温材を袋に詰め込みながら言いました。 二人が6枚全てのシェードを取り付ける前に予定時間を過ぎてしまいましたが、最もひどい2つの個所はカバーを終えていました。 全ての作業は完了できなかったものの、NASAはミッションは完全に成功したと宣言しました。 NASAテレビが船外活動を生中継している時に「北方より高速飛行物体が降下中」というニュースが割り込んできました。 ミッション管制室に立ち寄ったサンタ クリスマス・イブの午後6時30分CST頃にNASAのミッション管制室は、「ジョリーワン」にヒューストンへの着陸許可を出しました。 彼をセント・ニコラウスだと確認すると、サンタの帽子と模造品のトナカイで飾られたミッション管制官は、彼の着陸を誘導しました。 それからサンタは宇宙センターのそばで停止しました。 サンタが実際にセンターを訪れてフライト管制官全員にキャンディを投げ渡したこのいたずらはビデオテープに録画されました。 ハッブルの全盛時代はこれから NASAは、1月第2週にもハッブルの目が開いて再び宇宙を精細に調べ始める事に自信を持っています。全てが見事に働いています。 20年の耐用年数の半分を経たハッブルは、259,000枚の画像を地球に送り返して宇宙の年齢やその大きさの教科書を書き変えてきました。 その画像はまた、彗星衝突の長期の影響や惑星形成の価値ある知識も加えてきました。 ハッブルの科学者デイブ・レックロンは、この望遠鏡の全盛時代はまだこれからですと言っています。 「私はここ数年以内にハッブルが惑星誕生の理解を実際にクリアーする方法を先導していくと予測しています。」とレックロンは言っています。 ミッション開始が遅れ大晦日までに数日の予備日を置く為にマネージャーはディスカバリー号の飛行を10日から8日に短縮しました。 エンジニア達は、NASAのコンピューターはY2Kに対応していると信じていますが、彼ら少しの可能性も残したくありません。 月曜日の着陸は予定通りです。 |