教師クリスタ・マコーリフなど7人の宇宙飛行士が犠牲となったシャトル・チャレンジャー号爆発の14回記念のために海岸沿いの小さな記念施設に集まったおよそ100人の人々は、暗く灰色の空の下で冷たい風に震えました。
インディアン・リヴァーを横切る水平線にNASAのスペースシャトル打ち上げ台を見ながら居住者達は、Titusvilleにあるサンド・ポイント公園内の宇宙飛行士記念プラザの中央で厳粛な気持ちで赤や白色のカーネーションの花輪を供えました。 1本づつの赤いカーネーションが、33年前に発射台の火災で犠牲になった3人のアポロ1号の飛行士たちやチャレンジャー号のそれぞれの宇宙飛行士を奉る標識板の上に捧げられました。 マコーリフの標識板の上にはリンゴも置かれました。 「我々は、チャレンジャー号で命を落とした人達に敬意を表する義務があります。我々は、彼らの犠牲から多くの教訓を学び得たのです。火曜日にはシャトル・エンデヴァー号が打ち上げられますが、我々はうまく打ち上げることができます。それも前に亡くなった人達のおかげなのです。」とNASAの前プログラム・マネージャーで現在コミュニティ大学の学長を努めるアルバート・カラーは述べました。 中央フロリダで金曜日に行なわれた2つの行事のうちの1つのTitusville行事では、チャレンジャー号が爆発した瞬間の1月28日午前11時38分ESTに黙祷を捧げました。 風に打たれた20フィートの旗が5層のポールのてっぺんまで上げられ、それから半旗の位置に置かれて群衆は忠誠の誓約を朗唱しました。 ケネディ宇宙センターの旗は、金曜日半旗の位置に置かれました。 チャレンジャー号の終わりは、飛行に入って73秒後に2本のロケット・ブースターの1本から噴出した高温ガスがシャトルのオレンジ色の巨大な外部燃料タンクに吹きつけたことが原因で起こりました。 その結果シャトルをバラバラに引き裂く大惨事となり、搭乗していた7人全員が犠牲となりました。 寂しいラッパ手がタップを鳴り響かせて45分間の行事は終わりました。 ちょうどいい時に、まとまった雨が降り始めて群衆を分散させました。 「彼らは英雄でした。」とTitusvilleに住むロバートSieckは自分の車の方へ歩きながら言いました。 1998年にNASAを引退したSieckは、チャレンジャー号が10回目の最終の飛行をした時に打ち上げディレクターでした。打ち上げの最終許可を出したのは彼の仕事でした。彼は現在NASAのエアロスペース安全性諮問委員会のメンバーです。 「彼らの犠牲を認識してミッションに反映させることが、この国にとって重要なことです。それは、我々が宇宙探査に出かける時にその危険性を思い出させてくれます。」とSieckは言っています。 他の参列者には、1996年にこの計画に参加して自分の最初の飛行を待っている海軍大佐のデイビッド・ブラウン宇宙飛行士がいました。 「我々は、クルー達がしようとしていたヴィジョンを失ったわけではありません。」とブラウンは言っています。 チャレンジャー号爆発のムービー (CNN QuickTime) 昨年の行事の記事から |